日々のしおり

東洋医学の考え方を、生活感覚にマッチして健康的に過ごせる目線で書いてます。すべてはバラバラではなく、繋がっている。全体性を大切にした治療を行っています。一の会鍼灸院、院長 金澤 秀光過去のブログ記事はこちらへ→http://iori-hermitage.sblo.jp/

何者かに成ってる!?

 昨日は久々に太陽を拝めて、一日気持ちよく過ごせました。

 みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

 

 このところ、自己評価とか自己肯定感についてちょっと自分を振り返っていたのですが、まあ、それに対してあんまり深く考えないというか、一生懸命にならずにそのまま「放置」してたんですね。(今もですが)

 

 それでなんとはなしにAmazonでおもしろそうな本が無いかな?とつらつらやってましたら、目に留まったのがこれです。

 

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 「あやうく一生懸命生きるところだった」 

 なんか題名からして笑えるし、一生懸命にならずに読めそうかな?(笑)ということで、さっそくポチッとして買って読んでみました。。

 内容は、期待通り笑えました。

      

 本の詳しい内容に関しては、Amazon見てくださいねぇ。もっとも、今売り切れのようですが…💦

あやうく一生懸命生きるところだった | ハ・ワン, 岡崎 暢子 |本 | 通販 | Amazon

 

 著者の方、深刻な生き方の悩みのはずだと思うのですが、非常にコミカルに描かれていて、深刻さよりも軽快さの印象が残る本でした。それに笑えます♪

 

 後半、自己肯定感について触れられているところがあり、ん~、ってそこは少し留まっていったんは、こころがまとまるまで、そこのところを眺めてました。

 著者は韓国の人なのですが、韓国で著名な仏教僧、法輪(ポニュン)和尚の講演内容について引用してるところがあったのですね。

 

「人は自身を評価するとき、たいてい良い方に評価しようとする。そして自尊心が低い人ほど好評化を与え、自身を過大評価する傾向にある」

 「自尊心が低い人たちは、自身を過大評価し、素晴らしい人間だという幻想を持っている。この幻想と現実のギャップが大きいほど、悩みも大きくなる。」

 「幻想の姿に自分を合わせようと抗(あがら)うことは好ましくない。幻想を捨て、ありのままの姿を認め、愛しなさい」

 

 しばらく経って著者と同じく

 ん~、なぁるほどなぁ…と共感したのでした。

 筆者は、万能感かな。随分と小さくなってしまいましたが💦

 

 確かに筆者、18歳で初めて大阪に出てきたとき、郷里の田舎と違って格段に広い世界と感じて、「自分は何者にでもなれる」って、なんの根拠もない自信にあふれてた感覚を思い出しました。

 で、あれから40数年経った今現在、確かに「何者かに成ってる」というわけですねぇ。(笑)

 当時の筆者は、お金儲けがしたかったのですが。💦

 その後、挫折なんて雨あられ。

 失恋、入試、離別に失業、病気、失望…

 もう、大分と免疫できてますよっ、多分。

 そこそこの年月重ねて生きてこられた方は、みなさん同じような体験されてると思います。

 

 その度に、「くっそ~、へこんでなるものか」って一生懸命にやって来て、ここに来てなんとなく「もっ、いいかなぁ~」って思ってしまったのですよね、これが。

 

 著者は、「ダメな自分を認めてから、逆に自尊心が向上した。」と綴ってます。

 

 筆者は今、へこたれた自分、へたれな自分を感じてるのが気持ちいいですねぇ。

 確かに、逆らいさえしなければね。(笑)

 

 一昨日の夜、食卓で一杯やってるときにね、「もっとゆっくりしたいなぁ~」って、ボソッと呟いたら、すかさず妻が「もう十分ゆっくりしてるやん!」って。(;^ω^)

 はい、不足を申し上げているのではございません。💦

 確かにおかげさまで、のんびりとした家庭生活をおくらせていただいております。

 いつも感謝しております。いつもありがとうございます! <(_ _)>

 (このブログ、妻も読んでますので、たぶん… 笑)

 

 いやいやそうやのうて、頭の中、気持ちのことやねんって返答したのですが、まあ、分からんやろうなぁ。

 ところでここまで自分を駆り立てる、もうひとつのきっかけがあったのです。

 それは39歳の時の臨死体験で得た、あることからなんです。

 これを語りだすと長くなりますので、次回以降にボチボチ書いてまいりますので、ご興味のある方はお読みください。

 それではみなさま、力抜いてボチボチ参りましょうかねぇ。

 とにもかくにも、今日も一日、笑顔と一緒に生きましょうかねっ。(ニヤリ)

 みなさま、いつもありがとうございます! (^.^)/~~~

 

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つられ笑顔

 昨日の投稿で、こんなこと書きました。

 『自分に手を合わせることは、ご先祖様(今いきておられる親も含めてですよ)をはじめ、宇宙のありとあらゆるものに手を合わせることになりますねぇ。』って。

 なんとなく読み返してましてね、なんかズズズ…ってきたのです。(パッとひらめいたわけじゃないのですよねぇ💦)

 

 気がつけよ!って? 自己肯定感 で書いた自己肯定感。

 

 自己肯定感を高めるのは、自分に手を合わせるって心だなと、スッとじゃなくってズズズ…ってゆっくり重くやってきたのですね。

 まあ、自分に対して「ありがたや~」って手を合わせるのは、さすがに変ですよね。しっくりきませんし。(筆者はね。 笑)

 

 だらしなくしてるときも、ボケて忘れ物した時も(笑)、どんな自分の時でも『宇宙大自然の営み=生命』と一緒なんだって気持ちで居たら良いんじゃないかと。

 

 じゃないか?ですよっ。

 なにせ筆者もこれからやってみるのですから、どうなるのか分かりませんし。(笑)

 でも、なんとなくうまくんじゃない!?って思えるのですよね。
 それもいつもいつもと一緒になんて努力しなくても、時折でいいと思うのです、忘れさえしなければ。

 

 でね、話は急に変わりますが、最近の筆者の流行りを開示しますね。

 この画像です。

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 この画像は、こちらのYou Tube動画からスクショしたものです。
 元動画

100年前の日本人の笑顔【カラー化・高画質化】

  人様が笑ってる顔っていいですねぇ~、こっちまで幸せで楽しい気持ちになれますもん♪

 この画像をデスクトップにおいてましてね、一杯やりながら一人一人の笑顔を見てると、筆者もつられて顔が緩んで「ニヤッ」っとしてる自分に気づくのですよ。

 これ、つられ笑いっていうのでしょうか。(笑)

 人に見せられませんけどっ。

 

 この子たちを見てると、自分が育った昭和30年代初めの頃を当時の感覚を伴って、ジワ~ッと湧いてくるんですね。

 こりゃたまらん…快感すぎます(笑)

 なんとも心が和むのですよねぇ。

 初老の筆者のこころにも、幼い小さな子供の心が宿ってる…

 みなさま、よろしかったらどうぞ、注意してマネしてくださいねぇ。(笑)

 

なんとなく良くなる 関係性の極意! 

 今週、2年ぶりでしょうか、四国の方が関西に出張で来たのでと、受診してくださいました。

  治療を終えられての受付カウンターでの話です。

 この方、ニコニコしながら「不思議だなぁ~」っておっしゃるのです。

 通院歴のある読者の方はよくご存じだと思うのですが、当院では、痛むところや症状の現れてるところには、一切鍼をしませんよね。

 症状は、他所に何らかの不調和があって、そこを調和に導けば、宇宙大自然の営み=生命力が発揮されて症状は自然と治まる…これが当院のポリシーです。

 こんなこと説明しないのにこの方、こんなことをおっしゃったのです。

 

 先生、仕事がうまくいかないときには、例えば仕事と関係ない妻と仲良くする、子供と仲良くするといつの間にか仕事もうまくいくってことですよね!って。

 

 もう、筆者はびっくりしましたよ。!(@_@)!

 この方、悟ったなぁ~って。

 凄すぎますよねぇ、関係性の極意を感覚で掴んじゃったのですから。

 

 そうそう、そうなんですよ!

 かつてこのブログでも書いてると思うのですが、身体はあらゆる関係性の交差点なんですね。

 あらゆる関係性ってことに思いを巡らすことって、自分がなんで今存在できてるのかって振り返ることですよね。

 

 親が居てそのまた親が居て…ご先祖様ですよね。

 亡くなっておられても、みなさまお墓参りとかお仏壇に手を合わせることってあるじゃないですか。

 そのような方々を思い浮かべながら手を合わせることは、自覚しようがしまいが、関係性を意識してるってことですよね。

 目には見えなくても、つながってる何かを感じておられるからだと思います。

 

 ましてや、この世のつながり。

 目の前の家族や友人。

 住んでる家や地域社会。

 その土地の空気。

 毎日食べる食べ物や仕事。

 春夏秋冬の季節の気の移り変わり

 月の満ち欠け…

 ありとあらゆるものの関係性の総体が、今の自分である訳です。

 そう思うとね、自分に手を合わせることは、ご先祖様(今いきておられる親も含めてですよ)をはじめ、宇宙のありとあらゆるものに手を合わせることになりますねぇ。

 大げさかなぁ。(笑)

 でも、ほんまです。

 ちょっと宗教チックな話になって参りましたが、東洋医学ってこういうことを語ってるのだと、今更ながら気づかされたのであります、筆者は。

 

 ですから何かうまくいかないことがあるとね(現象)、自分の周りを眺めてどこか不調和と感じるところに(本質)意識を持っていくのです。

 例えば、最近自分の部屋が乱れてるなぁ~とか、家庭内の雰囲気が重苦しいな~とか、なんか職場の〇〇と意見が合わないな~とかね。

 そんな些細なところに意識を向けて調和を図る。

 するとね、なんとなくうまくいくようになってくるのですよ、これが。

 筆者の書斎の掃除や片付けは、いつも妻がやってくれてますので、筆者はいつもおいしくご飯を頂くという調和を図っております。(笑)

 

 身体症状も同じなんです。

 腰が痛いからって、腰に問題の本質がある訳じゃないんですよね。

 これ、分かりにくいかもしれませんが。

 過去ブロブ『7.やる気はゆっくりと(3)』

に掲載してます図をご覧くだされば、いくらかイメージして頂けるのではと思います。

 

 前からまあまあ、気づいてはいたのですがね。

 ここに至って、はっきりといたしました。

 もうほんまに、患者さんに教えられてる毎日です。

 ありがたいですねぇ~。

 みなさま、ご自分を何より大切に致しましょうねぇ。

 そして、自分を取り巻く関係性に思いを馳せてみませんか。

 

 今日からしばらく、天気は下り坂ですね。

 雨は浄化。

 上から雨は落ちてくるのですから、筆者も頭の気を下ろして気持ちをゆったりとさせましょうかね。

 そして、 

 過不足なくおいしくご飯を食べて

 夜は気持ちよくぐっすりと寝て

 心は穏やかに和やかに保って

 病魔退散の真言です。(笑)

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気がつけよ!って? 自己肯定感

 ケガで病院から退院してきてからというもの、まあ様々なことに気づかされてます。

 とりわけ年初から臨床復帰してからというもの、みなさまから熱いポジティブなメッセージやびっくりプレゼントを頂戴してます。

 本当にありがたいことです。(素直な心で受け取っております。)

 

 が、ちょっと待てよ…

 

 なんかね、ムクムクっと湧き上がって来たことがあるんです。

 

 それはね、これだけみなさまから大事に思われてることが、現実の目の前に次々と現れてくるってことは、どういうことなんだろ?って。

 目の前に見せていただいてるのは…

 

 ひょっとして、ひょっとして、自己肯定感が低いから!?

  

 自己評価が低い、自己肯定感が低いからこそ、現実の目の前に、

 「それに気が付けよっ!」

 ってことで、天啓のギフト現象として現れてるんじゃないかってね。

 

 でね、自己肯定感が低いことと、筆者の心や気持ちと照らし合わせてみたのですね。

 筆者は、自分で言うのもなんですが物事に対して結構一生懸命になるのですね。

 むろん、鍼に関してはちょっとストイックなところもあったりして、初心者の方にはちょっと、とっつきにくかったかもしれません。

 (いやいや、とっつきにくいですよねぇ)

 

 ですが、自分の心の中に「これで良し」という満足感って、あんまりないのですよ。

 そら、少しの間は感じることはできますが、すぐに

 

「こんなことしてられへん、もっと、もっと…」

 ってまた追い求めて一生懸命になってしまうのですね。

 

 そら、一生懸命になれることがあるのは、幸せなことかもしれないのですが、この「もっと、もっと」って求める欲求ですね。

 この「もっと、もっと」っていう欲求は、ですよね。はっきり言って。

 

 これって切りがないなぁ~って、思ってしまったのです。

 仏教でしたっけ、「知足 足るを知る」って言葉がありますが、そんなのちょっとの間の話です。

 だってね、元々心の奥底に、自分が自分に対する肯定感が低かったとします。

 この低い肯定感を自分の外の物事で埋めよう、満たそうとするのですから、やってもやっても、そら満たされませんよねっ。

 満たされないのは、本当に満たしたいのは、自分が自分に対する自己肯定感なのですから。

 

 もうええ加減、疲れへん?

 って自分に問うと、「もうしんどいなぁ~」って本音が出てきてしまいました。

 さあ、どうしましょうかねぇ。

 自己肯定感を高めるしかないですよねぇ。

 

 よっしゃぁ~!

 じゃあ頑張ってセミナーか何か受けて学んで、自己肯定感を高めるぞ!

 って一生懸命に頑張ってしまうと、これまでと同じパターンになってしまいますよね。(笑)

 自己肯定感って、人に教えてもらうものじゃないですよねっ。

 

 さあ、どうしましょうかねぇ~。

 これまで、あまりというか、ほとんどやったことない方法が良いのでしょうねぇ。

  放置

 ボ~っと自分と向き合ってみましょうかね。

 

 気が付いたのですから、プカプカ浮いて流れに任せてみる…

 まっ、ぜいぜい目についた本でも読んでみよかって感じですかね。

 それしか思い浮かばないのですよね。

 今日は素晴らしく天気いいですねぇ。

 さあて、手始めにお昼の休憩時間、明るく元気で、ボーっといたしましょうかねぇ。(笑)

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癒されし治療所の日々

 先週から臨床復帰しましてようやくの日曜日の今日、自宅でおっそ~い朝をまったりとコーヒーを飲みながら過ごしております。

 

 この2週間足らずの期間を振り返りますと、筆者の癒しのための期間だったなぁ~と、つくづくありがたく感じております。

 

 ご予約くださる方々のメールの冒頭には、「その後、お身体の調子はいかがですか」等と筆者をお気遣いくださる言葉を添えてくださってます。

 また治療を終えてお帰りになられる際には、みなさま、「先生、どうぞお大事になさってください」って。

 まあ、どっちが医療者なのか分かりませんよね。(笑)

 でもね、本当にみなさまのお気持ちが、こころにしみるのですよっ。

 なんかねぇ~、癒される気持ちになるのですよねぇ。

 

 1月11日のブログで、以下のようなことを書きました。

 

 『治療する側とされる側。

 この双方の気の交流を、意識的に変えていくと治療する側される側の境界が無くなり、互いによりよくなっていく道があるのでは』と。

 場の気と関係性

 先のブログでも書いてるのですが、さあ具体的にどうしよかって考えなくても、もうすでに変化に向けて気は動いてるんだなって感じました。
(楽ちんです♪)

 

 でね、先日、関西と関東の2拠点に生活の場を持つご婦人から、帰阪したのでお昼に治療所に伺いますって連絡があったのです。

 このご婦人、筆者が郷里の治療所を閉めて大阪に出てきたばかりのころに、足しげく通ってくださってた方でして、当時は主婦をされていたのです。

 もう、14~5年前のことです。

 現在は和薬膳の料理家として全国的に活躍しておられるのですが、お昼に来院され、治療所の会議テーブルいっぱいに薬膳料理を広げて、先生、どうぞ召し上がってくださいと。

 そしてね、『私の出発の原点は、先生なのですから』って。(@_@)

 筆者のこと、そんなふうに思ってくださってたんだと、そら、びっくりするやらありがたいやら…

 ジワッとにじむ涙がこぼれないように、とっさに頑張ってしまいましたよ。(*_*;

 

 そしてお料理を一緒に頂きながら、この10数年の間のことをいろいろと語ってくださるのですが、せっかくのお料理の味がわからなくなるくらい感激・感動の連続でした。

 筆者、そら元気になりますよ~。

 どんな励ましの言葉よりも、ご縁でつながったおかげで、こんなにも元気になって自分の人生が広がったって喜んでくださればねぇ。

 こんな凡夫きわまりない自分でも、生きてこの世に居るだけで、一緒に喜びを共有できるんだってね。

 今回、大きなケガしたけど、ケガしてなかったらこんな気分というか喜びはやってこなかったかもしれません。

 こんなケガはもう二度と嫌ですが、これも何かのお計らいだったのかもしれないなぁ~と思うようになってます。

 

 あっ、そうそう、年始から来院された方々に触れて感じたことは、まず何よりも「自分を生きる」ってことですかね。

 人のためとか世のためとかっていう前に、「自分を生きる」ってこと。

 自分を生きて、関わった人がどう感じるかは相手の自由ですから。

 さて、そういってる筆者、人様から学んで「自分を生きる」ことが出来ますやら。(笑)

 キモは頑張らない・意識しないことでしょうか。

 今すでに動き出してると感じてるこの流れに、プカプカ浮いて楽ちんで任せることに致します。

 みなさま、いつもありがとうございます。

 どうか、素晴らしい休日を!!

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豊かな表情ー印象に残る方

 みなさま、こんにちは!

 今日は久々に日常の診療の話題を。

 

 昨日、1年半ぶりに受診してくださった方がいらっしゃったのですね。

 受診の動機は、お母様が体調を崩されたということで、ご本人も久々なので一緒に受診しようということで来院くださいました。

 ちなみにお母様、いつもこのブログをご覧くださってるとのこと。

 ありがとうございます!

 

 ところでこの方、原病は双極性障害だったのですね。

 初診の夕方、非常に高い熱が出てお母様から電話がかかってきたのですが、その高熱をきっかけに10数種の精神薬が一気に必要なくなった方です。

 症状は風邪とよく似ていたのですが、鬱積してた感情が熱という形で一気に噴き出しておられたのです。

 これをきっかけに排薬されて、以後一度も一種類も服用することはありませんでした。

 これまで精神疾患はいろいろ診てきましたが、記憶というか印象に強く残る方のおひとりです。

 

 一旦完治して社会復帰を果たされたこの1年半の間に、ご自身のことを振り返って気づいたことをたくさん話してくださるのですよ。

 筆者は、相槌を打ちながら、ただひたすら聞いていたのですが、以前に比べて格段に表情が豊かになっておられるのですね。

 あぁ~、この方はもう再発することは無いなぁ~と確信したのでした。

 うれしかったなぁ~(*^-^*)

 そして過去、筆者と話したことを手掛かりに気づいたことは、自分は承認欲求がとても大きかったこと。

 雑踏ですれ違う人にさえ、受け入れてもらいたいと意識していたそうなのです。

 社会規範に忠実に生きる・人に受け入れてもらう・認めてもらうためには、自分が何を感じ、どのような欲求を持っているのか。

 そんな自分を置き去りにしてきたと、淡々と話してくれるのです。

 さらに自分が思っていた社会規範さえも、自分が勝手に作り上げた幻想だったってことも。

 この場で書ききれないほど素晴らしい気づきの数々を伝えてくださいました。

 一生懸命、それこそ死にものぐるいで生きてこられた様子がありありとうかがえました。

 この方、ご病気をされ一旦は職を失われましたが、今、『しあわせです』とおっしゃられました。

 なんかね、筆者のためにわざわざ受診してくださったかのように感じましてね。

 日中の陽の暖かさと相まって、ほっこりとした気持ちになりました。

 有難いですねぇ。(*^-^*)

 

 さて、世はコロナで混迷の度合いを深めてるようですが、やるべきことをやった後は、社会の喧騒とはちょっと距離を置いておくのが、何にも増して有効な予防になると思うのですよっ。

 日常は、

 過不足なくおいしくご飯を食べて

 夜は気持ちよくぐっすりと寝て

 心は穏やかに和やかに保って、楽しみと喜びへとこころを運んで参りましょう。

 そうするとね、病魔は、近寄ってきませんって。

 それではみなさま、今日も一日、明るく元気で参りましょう!!

 

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場の気と関係性

 本日11日は、成人の日なのですね。

 大変な世相ですが、成人式をお迎えの方々、おめでとうございます。

 そして今日は鏡開きの日でもありますね。

 年神様のご神気を頂いて、今年一年、無病息災を願いつつお餅を頂きたいと思います。

 

 さて、「場の気」に関していろいろと思いを巡らせていました。

 きっかけは仕事始めの時に気が付いた筆者の身体の変化でした。

 身体の不思議、なんで?

 

 「場の気」の違いは、土地の気とそこに出入りする人の意識によって複合的に形成されるものですよね。

 「場の気」を作る大きな要因が人の意識ならば、逆に「場の気」が人の意識に働きかけることもありますねぇ。

 

 筆者は、教員養成科に週1回講義に赴いているのですが、以前、学科長からこんなお話をお伺いしました。

 社会に出て立派にやってた先生が、入学してくるといつの間にか学生になるのですよ、って。

 

 学校では当然、授業があるのですが授業の「授」って「さずける」って訓読みするじゃないですか。

 「さずける」って、筆者はどうしても上から下へという方向性を感じるのですね。

 するとどうしても、受け身的な意識になってしまうと思うのです。

 ですので、学校という場は、与えられたことを一生懸命学ぶ場としては適していますね。

 ところが、自らの道を求めて学ぼうとすると、やはり学校を卒業してからになると思うのです。

 

 治療所もそうですよね。

 みなさま、病を治すためにお越しになられるのですが、やはり「治療を受ける」って意識になられると同時に、筆者もまた「治療を施す」という意識になります。

 なんか上下が意識されません?

 このような意識で形成された「場の気」の中に入れば、筆者は意識することなく自然にそれらしく振舞ってしまうことになります。

 ありていに言えば、先生らしく振舞うということです。

 

 ところが家庭に入れば、そこは共に楽しく楽に生活しようやないかという意識の「場の気」がある訳ですね。

 するとね、治療所では先生でも、家に帰ればどこにでも居る、ちょっとだらしない?ふつ~の酒好きのおっさんなわけですよね。

 そこに身体は正直に反応したってことですよね。(笑)

 まあたいそうに書いてますが、簡単なことですよね。💦

 

 

 ただね、こう書いててハタっと気が付いたことは、筆者、治療所では先生らしく振舞ってしまうのですから、来院される方も患者さんらしく(病人らしく)自然に振舞ってしまうということになりますね。

 治療する側とされる側。

 この双方の気の交流を、意識的に変えていくと治療する側される側の境界が無くなり、互いによりよくなっていく道があるのでは、と思うようになってきました。

 これは双方の「生き方」にかかわってくるだろうと思います。

 一般的な「治療」という概念の枠組みを、いやいや筆者自身にしみついてる概念を取り壊す必要性を迫られてるような感じです。

 そして関係性の再構築ですね。

 さて、具体的にどうしましょうかねぇ。

 まっ、流れに任せて、なにか浮かんできましたらまた書きますね。

 

 

 さて、世はコロナで騒がしいですが、やるべき対策をやった後は、

 過不足なくおいしくご飯を食べて

 夜は気持ちよくぐっすりと寝て

 心は和やかに楽しみと喜びへと運んで参りましょう。

 自分が明るく元気に今日一日過ごせば、これも立派な社会貢献。

 みなさま、いつもありがとうございます。

 また書きますねっ。

 

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