いおり日記

大阪市淀川区 いおり鍼灸院 院長・金澤秀光が綴る東洋医学に関するよもやま話。  「心身一如」の古典医学に立脚し、個人の有り様と、人間を取り巻く環境との相関的視点から気ままに書いています。 過去のブログ記事はこちらへ→http://iori-hermitage.sblo.jp/

熊野本宮大社 熊野

 今回の熊野ツアーは、玉置神社を皮切りに次いで訪れたのが熊野本宮大社です。

 ここは10年ぶりくらいでしょうか。

 郷里、兵庫県福崎町の治療所を閉じ、大阪に出てきて間もないころに参拝してますので、思い出深いものがあります。

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 誰でもが経験するでしょう、未来に対する期待と不安の入り混じった何とも複雑な気持ち。

 何度振り返っても、命の根底に何か突き動かすようなエネルギーがあって、ここまで流れて来た、って感じですかね。

 なんとなくですが、我ながら不思議な感覚です。

 

 神殿の屋根、うつくしい…

 こちらでも、神恩感謝のお礼を宣べ、新たなる誓いを宣言して参りました。

 

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 なんか男性的で、鎮まった力強さの美を感じてしまいます。

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 参拝を終えると、もう午後3時。

 早々に退いて次の目的地、那智大社に向かうことに。

                         つづく…

 

玉置神社 熊野

 今月の19日日曜日、家族と一緒に熊野ツアーに行って参りました。

 まず最初に訪れたのは、奈良県十津川村にあります、玉置神社です。

 実に十数年ぶりです。

 最初の写真は、玉置神社の駐車場からの景色です。

 到着して、いきなりスッとしました。

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 遠景と近景、幾重にも重なる山々が雄大です。

 ここでバーナーで湯を沸かし、持参したおにぎりをほおばりながら、かつて訪れた時と今の状況を振り返ってみると、人生って不思議だなと改めて思ってしまいました。

 だってね、その都度計画を立てて歩みを進めてきたつもりですが、十数年前の自分が今日のこの日を予期して描いていたかどうか。

 否です。

 いろんなことがあって、出会いと別れを繰り返し、流れ流れて来たのが今です。

 いったい何が、どのような存在が自分をここまで運んできたのでしょうねぇ。

 筆者の座右の銘のひとつ。

 予定は、未定。

 これさえあれば、人生柔軟に楽に生きれますよっ。

 そして駐車場から一礼して大きな鳥居をくぐり、さらに進むとまた鳥居があり参道の雰囲気がガラリと変わりました。

 

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 なんとなく気が引き締まるで、ここからは不敬があってはならない感じがしました。

 途中で山の神を祭ってありました。

 

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 静か…の一言です。

 訪れたお社で、かつてこの地で立てた誓いを反芻して神恩感謝の気持ちを宣べ、また新たな誓いを立てて参りました。

 境内の裏手には、樹齢三千年と表示された杉の巨木。

 また会えた喜びに、しばし浸りました。

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 一切の説明など必要のない、圧倒的な存在感。

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 神武天皇東征の折、この地に立ち寄られたとのことですが、並び立つ巨木はそんな様子をひっそりと見ていたのかもしれませんね。

 この地の気に触れるだけで、もう十分な気持ちです。

 心も体もすっきりとして、ここから熊野本宮大社に向かったわけです。

                           つづく

生きようとする力

 大阪医療技術学園で、鍼灸医学を学んでおられる川村淳子さんが、昨日治療所で色々お話しさせていただいたことを、早速フェイスブックに投稿してくださいました。

https://www.facebook.com/junko.kawamura.90038?fref=pb&hc_location=profile_browser

 なんか、うれしくなってしまい、筆者も書きたくなりました。

 

 この時期、戦争の悲惨さを伝えるメッセージが多くなりますね。

 確かに、筆者も戦争には大反対です。

 ですが、開業当時(平成元年)には、まだ戦争体験をお持ちの患者さんがたくさんいらっしゃいました。

 暇なときには、よ~く戦争体験を聞かせてもらったものです。

 輸送船が魚雷で沈没して、海に浮かんでいるところをグラマンに狙い撃ちされた。

 激戦地で次々に仲間が弾に当たって、自分も中ってしまった。

 大陸で昼夜の行軍で中に、次々と人が倒れて置き去りになっていく。

 まだまだあります。

 筆者が出会った方々、遠くを見るように悲惨な体験を話されるのですが、それがだれ一人としてトラウマになっていないのですよ。

 むしろ、楽しげな様子なのです。

 10代から20代の青春時代を覆った、戦争。

 なんか、この人たちには、かなわないなぁ~と思ったものです。

 稻垣副院長の祖父も、通信兵として戦艦に乗って戦地に赴いておられます。

 話をお伺いしますと、悲惨な様子よりもむしろ青春時代の一コマを語るかのように楽しげなのですよ、これが。

 細くって小柄な人でしたが、こんな人には、かないませんよ。ホンマのところ。

 実母も、兵庫県姫路市の空襲で、辛くも生き残った内の一人でした。

 食べるものどころか水さえない。

 もちろん、寝るところもない。

 広島郊外の疎開先では、B29の飛来から原爆投下、きのこ雲、避難してきた全身やけどの人々。

 まだ幼い小学生だった母親が語る体験と光景から伝わってくるものは、やはり人が生きようとするたくましさでした。

 どんなことがあっても、生きる。

 人には、実はそんな力が秘められている…

 逆境が、その力を引き出してくるのでしょうか。

 どんな時代でも状況でも、人がたくましく生きてきた姿には、勇気づけられます。

 そのような報道も、期待したいですねぇ。

 

 川村淳子さんがシェアした「クローズアップ 現代」

 #あちこちのすずさん 庶民がつづった戦争の記録

 

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けがれと病

 8月7日は立秋でしたね。

 七十二候の初候は涼風至る、ですが台風の影響なのでしょうか、このところ朝夕が涼しく感じて、心身共にホッとしますね。

 

 この日は奈良県吉野の、みたらい渓谷に家族で日帰りで行って参りました。泉北の自宅から片道2時間のプチ旅行です。

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 渓谷の風は25度の涼風。

 水は限りなく透明でとても冷たく、空気も澄んで太陽の日差しも柔らかく感じました。

 都会の喧騒を離れ、日常から離れ、漬物と海苔の佃煮・ふりかけ程度の簡単なお弁当でお腹を満たしての川遊び。

 ここは携帯の電波も届かないので、電磁波フリーですね。

 このみたらい渓谷、ヘタな禊より、よほど清められた感じがしてます。

 

 禊・清め祓いと言えば、神道では、「穢(けが)れ」と言う言葉がありますね。

 祝詞(のりと)の中にも出て参りますよね。

 では、この「穢(けが)れ」っていったい何なのでしょうね。

 

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 よく「けがらわしい」(女子に、よ~く言われたもんです。笑)なんて言われますが、一説によりますと「気枯れ」が語源ともいわれています。

 

 元気が無くなること=気枯れ。

 

 そうしますと、ネガティブトークも「気枯れ」ということになりますね。

 病気なんて、まさに文字通り気が病んでいる状態です。

 気が鬱して伸びない。

 知らず知らず、口を突いて出てしまう否定的な言葉。

 「無理、出来ない」

 「面白くない」

 数え上げればキリが無いほどのセルフトーク。

 自分の生命の可能性を否定する思いは、創造主である神に対する「罪・穢れ」となってしまいますね。

 もちろん、人の気を犯す・奪う行為も「穢れ」です。

 

 この罪穢れを「祓いたまえ、清めたまえ」と神前で祝詞(のりと)申し上げるのですね。

 そしてまた、新たな気持ちで明るく生きていく。

 実はこれ、鍼灸医学では祝由(しゅくゆ)と称されています。

 

 鍼灸治療は、鍼という道具を用いて、この「気枯れ」の回復を図ります。

 もちろん、鍼だけではありません。

 言葉を言霊に変えて、患者さんの気を大きくポジティブな方向に導くこともあります。

 これを移精変気の法というのですが、その他さまざまな方法を用いて、病気=「気枯れ」の回復を図ります。

 もう、気が動いて良くなるのでしたら、使えるものは何でも使うというのが東洋医学の基本です。

 

 これが鍼灸医学の原点でもありますし、また現代によみがえる古代鍼法でもあります。

 それはともかく、鍼を行う術者が清まっていることが大切ですよねぇ。

 

 と、言うことで、また遊びに出かけます!

 

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金剛山

 先日7月31日(火)ひとりで金剛山に昇ってきました。

 動画は、登山時の帰り道の時のもの。

 沢を下る水音がとても気持ちよく感じたのですが、どうも動画音声ではうまく拾えて無いようです。

 気持ちよく流れる下りの登山道と、下る沢の水流の気のコラボがとても気持ちよく感じました。

 8月も、休みの度に山通いするつもりです。

 今日も暑いですが、この夏ももう少し。

 せっかくなので、味わい尽くそうと。

 いやしん坊です。

 

 

 

 

 この写真は奈良県側。

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山頂にある葛城神社の裏参道から、信貴山を望んで。

ここは、筆者お気に入りの場所でもあります。

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そんなの、見ないよっ

 昨日の午後は、5年に一度の運転免許の更新に行って来ました。

 今回は、4年前のたった一度の過ちで、優良から一般運転者となりました。

  ショッボ~ン(-.-)

 まあ、それはよろしいんですけど、かなわんのが免許更新講習に組み込まれている、あの悲惨な事故現場の映像。

 毎回、必ずと言っていいほど、見せられるのですよね。

 これ、かないませんねん。

 講師の方が、目を閉じても良いというので、閉じてましたが…

 映像見てしまうと、しばらく事故したらあかんと思うてしまいまんねん。

 事故したら、怖いと思うてしまいまんねん。

 それでええやん、って思う人もいらっしゃるかもしれません。

 が、ねぇ、見た方向に現実って動いてしまいがちなんですよ。

 平均台乗って、落ちたらどないしよう、って下見ると落ちてしまうのと同じことです。

 

 映像見て、気分が悪くなると言う事は無いのですが、普段から悲惨なものは一切見ないようにしてるんです。

 だってね、やっぱり影響受けますもん。

 また同じこと言いますが、見た方向に、現実って動いてしまいがちですから。

 

 今回の地震も豪雨も、ネットでたまたま目にする画像や友人から送られてくるのは受動的に見ますが、基本は自分からは求めては見ません。

 僕にとっては、文章とか数字でもう、もう十分なんですよ。

 

 プラカード掲げてのデモも、幕張ってのピケや座り込みも苦手。

 なぜなら、伝わってくるのは「怒り」なんだもん。

 これ、筆者の特性かなぁ。

 

 戦争の悲惨さを知って欲しいってよく言われてますけど、映像や画像で悲惨さ味わって、どんな気持ちや心になれっていうのでしょうか。

 そこから生じる行動って、どんな行動になるのでしょうか。

 平和を願うこころの源が、怒りを発したら、怒りが自分の身の回りに現実化しやすくなると思うのですよ。

 まあそんなことよりやっぱり、「いま・ここ」で、穏やかで平和な気持ちでいたいじゃないですか。

 
 自分に出来ること考えたら、まず自分や周囲の人たちと、穏やかに平和に暮らこと。

 これ、簡単に書いてますが、なかなか難しいですよ。(筆者は、ですが…)

 いま、筆者と関わってる人に伝わるのは、筆者の「いま・ここ」の、こころの状態。

 色々正論らしいこと言っても、理屈なんてすぐに忘れてしまいますよ。

 伝わるのは、残るのは「こころの感覚」

 これって、大切だと思いません?

 

 これ、筆者個人の感性でモノ言ってますので、誤解なきように願います。

 こんな奴もいるんだと。

 おわり。

言葉遊び

 先日、フェイスブックで見つけた名言です。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

マザー・テレサ

 

 ほんと、この通りですねぇ。

 

 ここには、「気をつけなさい」と少しネガティブさを感じますので、ポジティブメッセージに書き換えたいと思います。

 ポイントにしたのは、「いま・ここ」の自分に常に意識的になっていることです。

 

 いま、どんな思考をしているかに、意識的になりなさい。 

 思考は言語化されますから。

 

 いま、どんな気持ちでどのような言葉を発したのかに、意識的になりなさい。

 言葉は、行動化されますから。

 

 いま、どんな行動をしているのかに、意識的になりなさい。

 行動は習慣として自動化されますから。

 

 いま、どんな習慣を持っているかに、意識的になりなさい。

 習慣は、性質・性格となりますから。

 

 いま、どんな性格であるのかに、意識的になりなさい。

 性格は、人生の運命を形作りますから。

 

 瞑想は、「いま・ここ」に常に意識的になるための訓練です。

 なんとなく感じたり行動してもいいと思います。

 「なんとなく」が、意識されておりさえすればね。

 意識的に、感覚にゆだねるのですから。

 

 もっと別な、簡潔にポジティブな言い回し、やってみましょうか。

 

 思考の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、美しく人を元気にする言葉が生まれますから。

 

 言葉の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、人を勇気づけ、元気にする行動が生まれますから。

 

 行動の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、美しい習慣が生まれますから。

 

 習慣の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、明るく輝くような性格が現れますから。

 

 性格の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、くつろいだ安心と充実した運命が現れますから。

 

 これ、無理せずおいしいもの食べた後や、友人や家族と楽しい時間を過ごした後の、余韻に浸りながら行うといいかもしれませんね。

 そうすれば、言葉に実感がこもって、「言霊」となりますし。

 

 どうでしょう、いくらでも創作できそうですね。

 

 軽い気持ちで、心遊びしてみます。

 

 みなさまも、いかがでしょうか。