いおり日記

大阪市淀川区 いおり鍼灸院 院長・金澤秀光が綴る東洋医学に関するよもやま話。  「心身一如」の古典医学に立脚し、個人の有り様と、人間を取り巻く環境との相関的視点から気ままに書いています。 過去のブログ記事はこちらへ→http://iori-hermitage.sblo.jp/

金剛山

 先日7月31日(火)ひとりで金剛山に昇ってきました。

 動画は、登山時の帰り道の時のもの。

 沢を下る水音がとても気持ちよく感じたのですが、どうも動画音声ではうまく拾えて無いようです。

 気持ちよく流れる下りの登山道と、下る沢の水流の気のコラボがとても気持ちよく感じました。

 8月も、休みの度に山通いするつもりです。

 今日も暑いですが、この夏ももう少し。

 せっかくなので、味わい尽くそうと。

 いやしん坊です。

 

 

 

 

 この写真は奈良県側。

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山頂にある葛城神社の裏参道から、信貴山を望んで。

ここは、筆者お気に入りの場所でもあります。

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そんなの、見ないよっ

 昨日の午後は、5年に一度の運転免許の更新に行って来ました。

 今回は、4年前のたった一度の過ちで、優良から一般運転者となりました。

  ショッボ~ン(-.-)

 まあ、それはよろしいんですけど、かなわんのが免許更新講習に組み込まれている、あの悲惨な事故現場の映像。

 毎回、必ずと言っていいほど、見せられるのですよね。

 これ、かないませんねん。

 講師の方が、目を閉じても良いというので、閉じてましたが…

 映像見てしまうと、しばらく事故したらあかんと思うてしまいまんねん。

 事故したら、怖いと思うてしまいまんねん。

 それでええやん、って思う人もいらっしゃるかもしれません。

 が、ねぇ、見た方向に現実って動いてしまいがちなんですよ。

 平均台乗って、落ちたらどないしよう、って下見ると落ちてしまうのと同じことです。

 

 映像見て、気分が悪くなると言う事は無いのですが、普段から悲惨なものは一切見ないようにしてるんです。

 だってね、やっぱり影響受けますもん。

 また同じこと言いますが、見た方向に、現実って動いてしまいがちですから。

 

 今回の地震も豪雨も、ネットでたまたま目にする画像や友人から送られてくるのは受動的に見ますが、基本は自分からは求めては見ません。

 僕にとっては、文章とか数字でもう、もう十分なんですよ。

 

 プラカード掲げてのデモも、幕張ってのピケや座り込みも苦手。

 なぜなら、伝わってくるのは「怒り」なんだもん。

 これ、筆者の特性かなぁ。

 

 戦争の悲惨さを知って欲しいってよく言われてますけど、映像や画像で悲惨さ味わって、どんな気持ちや心になれっていうのでしょうか。

 そこから生じる行動って、どんな行動になるのでしょうか。

 平和を願うこころの源が、怒りを発したら、怒りが自分の身の回りに現実化しやすくなると思うのですよ。

 まあそんなことよりやっぱり、「いま・ここ」で、穏やかで平和な気持ちでいたいじゃないですか。

 
 自分に出来ること考えたら、まず自分や周囲の人たちと、穏やかに平和に暮らこと。

 これ、簡単に書いてますが、なかなか難しいですよ。(筆者は、ですが…)

 いま、筆者と関わってる人に伝わるのは、筆者の「いま・ここ」の、こころの状態。

 色々正論らしいこと言っても、理屈なんてすぐに忘れてしまいますよ。

 伝わるのは、残るのは「こころの感覚」

 これって、大切だと思いません?

 

 これ、筆者個人の感性でモノ言ってますので、誤解なきように願います。

 こんな奴もいるんだと。

 おわり。

言葉遊び

 先日、フェイスブックで見つけた名言です。

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

マザー・テレサ

 

 ほんと、この通りですねぇ。

 

 ここには、「気をつけなさい」と少しネガティブさを感じますので、ポジティブメッセージに書き換えたいと思います。

 ポイントにしたのは、「いま・ここ」の自分に常に意識的になっていることです。

 

 いま、どんな思考をしているかに、意識的になりなさい。 

 思考は言語化されますから。

 

 いま、どんな気持ちでどのような言葉を発したのかに、意識的になりなさい。

 言葉は、行動化されますから。

 

 いま、どんな行動をしているのかに、意識的になりなさい。

 行動は習慣として自動化されますから。

 

 いま、どんな習慣を持っているかに、意識的になりなさい。

 習慣は、性質・性格となりますから。

 

 いま、どんな性格であるのかに、意識的になりなさい。

 性格は、人生の運命を形作りますから。

 

 瞑想は、「いま・ここ」に常に意識的になるための訓練です。

 なんとなく感じたり行動してもいいと思います。

 「なんとなく」が、意識されておりさえすればね。

 意識的に、感覚にゆだねるのですから。

 

 もっと別な、簡潔にポジティブな言い回し、やってみましょうか。

 

 思考の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、美しく人を元気にする言葉が生まれますから。

 

 言葉の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、人を勇気づけ、元気にする行動が生まれますから。

 

 行動の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、美しい習慣が生まれますから。

 

 習慣の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、明るく輝くような性格が現れますから。

 

 性格の源に意識的になりなさい。

 幸福感からは、くつろいだ安心と充実した運命が現れますから。

 

 これ、無理せずおいしいもの食べた後や、友人や家族と楽しい時間を過ごした後の、余韻に浸りながら行うといいかもしれませんね。

 そうすれば、言葉に実感がこもって、「言霊」となりますし。

 

 どうでしょう、いくらでも創作できそうですね。

 

 軽い気持ちで、心遊びしてみます。

 

 みなさまも、いかがでしょうか。

思い通りにいかん時

 あぁ〜もう、なんでこないなんねん!

 って、なかなか思い通りにならず、イラっついてしまうことってありません?

 

 筆者も、時々?やらかします。

 でね、そんな時にこそ思うべきいいこと、思いつきました。

 

 あぁ〜、思い通りにならんなぁ、と思ったら。

 ちょと間をおいて治まってから。

 まてよ、ほんまにそうか?

 いま、深呼吸できる。

 いま、手足動かせる。

 そんで、ご飯たべれるし、本も読めるし、音楽も聞けるし、話もできるし、文字も書けるし・・・

 おぉー!  思い通りになること、いっぱいあるやん。

 こんだけ。

 あとは、ちょっとは考えるけど、あんまり深く考えない。

 思い通りになることを、優先してやります。

 おわり。

        


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一緒になって、悩まない

 筆者、実は「鍼道 一の会」会員用ブログに毎日投稿しておりまして、今回その一部を公開して書いてみたいと思います。

 

 要点は、ひとつです。

 

 自分以外のことで、悩まない、怒らない、引きずらない、と言う事です。

 

 治療者が接するお相手は、痛い、しんどい、つらいといった身体症状も含め、その人の人生上の諸問題もある訳です。

 当然、それを解決すべく耳を傾け、それこそ心血を注ぐようにして解決を一緒に探ります。

 時に、解決に至らないこともあります。

 相手と一緒に、解決の方策を探ったり練ったりするのは当然のことです。

 治療者ではなくても、みなさま、時に親しい友人の悩みなど、聞いてあげる立場になられることもあるでしょう。

 その時に大事なことは、相手と一緒に悩んでしまわないことだと思うのです。

 

 人が抱えている問題は、その人が解決すべき問題です。

 社会が抱えている問題は、その人が属している社会が解決すべき問題です。

 ここで誤解なきように願います。

 自分に出来る手助けは、当然のようにすべきことはもちろんです。

 

 ですが、解決が観えなくても、悩まないこと。

 どんな状況にあっても、今日一日、自分が明るく生きていくこと。

 最低、これは自分に出来る唯一の自由さだと思うのです。

 これだって、十分すぎる社会貢献です。

 

 だって、この社会の構成員の一人なんですから。

 

 社会の矛盾に、なんとかしたい気持ちも分かります。

 その時に大事なことは、自分に今、ささやかでもいい、幸せ感があるかどうかです。

 その幸せ感から、「気」を発しているか、言葉を発しているか、行動しているかがキーポイントです。

 

 自分の不幸せを、不健康を、世の中のせいにしていると、自分自身の中に平和とやすらぎは訪れません。

 

 人や世の矛盾にたいして、怒りで社会や人に警告や注意を促すと、怒りが世の中にばらまかれます。
 言ってることの正しさよりも、言ってる側の源の「気」が伝わり広まるからです。

 

 デモや論争…ちょっとした戦争じゃないですか。

 平和を論じ叫びながら、誰かと争ってるこの矛盾。

 正しさを主張するあまり、相手への誹謗・中傷。

 まずは、この矛盾に気づくと良いと思いますね。

 

 では、そうすれば良いのか。

 濁と感じる中に清を見つけること。

 つらいと感じる中にも、生きてる喜びを感じること。

 暑いと感じていながら、木陰の存在に幸せを見つけるような感じでしょうか。

 すべては、自分との関係性の中に起きていることですよね。

 同じ現実に関係・繋がっていて幸せ感を感じている人とそうでない人。

 社会や人と、その人との関係性の中に物事は生じているのだという現実。

 

 そして最初に戻ります。

 自分以外のことで、悩まない、怒らない、引きずらない。

 すべては、自分に観える世界との関係性の中で生じていることに過ぎないのだ。

 

 と、時々ハッとして思うのですよね。

 

 こう書いてて筆者、なかなか、懲りませんぞ。

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甘味の効用

 この甘草、漢方薬ではどのような目的で用いられるかと申しますと、気の動きゆっくりさせる作用を利用します。

 たとえば、漢方薬をお腹に長く留めて、じっくりと効果を持続させたいときは、この甘草の量を増やします。

 極端な場合ですと、下痢を止める場合にも用いられます。

 

 身近なところでは、食後の消化をゆっくりとさせる働きを利用してますねぇ。

 たとえば、食後の甘いデザートなどを頂くことで、満腹感・満足感がより長く持続させようとするのがそれです。

 白・黒砂糖やはちみつも、基本は同じ作用があります。

 強いて言いますと、はちみつの方がより長く緩める・留める作用を持続してくれます。

 ですから、はちみつは漢方の丸薬を練る際に、用いられるのですよね。

 じ~っくりと長く効かすために。

 丸薬を、 胃の中に長く留めておくためにです。

 ところがこの甘味、過ぎるととんでもないことを、やらかします。

 このところは、追々書いて参ります。

 ですから、砂糖などの強烈な甘みの作用を考えますと、単純に身体に良いとか悪いとか、言えないんですよね。

 要は、用い方ですね。

 次回、また続きを書きます(*^。^*)

 

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白・黒砂糖とその働き

 前回のブログ『風邪と熱中症』の中で、甘味について少し触れましたので、甘味の代表選手、砂糖の健康に対する良し悪しについて少し書いてみます。

 

 食養をされておられ方や、自然食にこだわてあられる方から、ちょくちょく「白砂糖」は体に良くない、というようなことをよく耳にします。

 黒砂糖なら、ミネラルも豊富で自然に近いので、身体に良いという話も同時に聞きます。

 この場合の良し悪しは、ミネラルと自然が判断基準ですよね。

 はちみつや自然塩も同じ考えで判断されてます。

 

 ところが筆者は、ミネラル・自然品による白黒砂糖の良い・悪いはあまり意味が無いと考えています。

 確かに、ミネラルとか自然のものは、より自然に近いという観点では良いかもしれませんねぇ。

 ところが、甘味の持つ気の作用として考えると、薬にも毒にもなると考えることができるのです。

 実際、奈良・正倉院には、砂糖は薬品として蔵されているそうですよ。

 当時は、大変な貴重品だったそうで、実は筆者の生まれた昭和30年代には、まだ贈答品として扱われているほど、高価な品だったのですよね。

 

 それはさておき、甘味の気の作用ですね。

 ズバリ、緩める作用があります。

 漢方のほとんどの薬に、甘草という非常に甘い薬草が使われています。

 次回、この薬草・甘草が漢方薬にどのように使われているのかを通じて、日常の砂糖をどのように扱えば良いのかを、見て行きたいと思います。

 

 

 

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