いおり日記

大阪市淀川区 いおり鍼灸院 院長・金澤秀光が綴る東洋医学に関するよもやま話。  「心身一如」の古典医学に立脚し、個人の有り様と、人間を取り巻く環境との相関的視点から気ままに書いています。 過去のブログ記事はこちらへ→http://iori-hermitage.sblo.jp/

八百万の神と自分

 世界中で最も多様な宗教が存在しているのは、実は日本だと言われています。

 そんな中でも、神道は古くから信仰されてきています。

 神道の考えに、八百万の神というものがありますが、あらゆるところに神が存在していると言う事ですよね。

 鍼灸医学は、ひとりひとりに「神」が宿っているのが前提で成り立っています。

 あなたも筆者も、神様なのですねぇ。

 八百万の神というだけあって、中には人に災いする神様も、なんとお社まで作ってお祭りしてしまう感性を持ち合わせているのですねぇ、この国では。

 外国でも、破壊の神、シバ神なんて言われているのですから、無くてはならない何らかの必要なお働きがあるのでしょう。

 そんな「神様」をも宿している自分自身なのですが、時に自分自身を見失ってしまう時があります。

 いったい自分が何を考えているのか、何をしたいのかが分からない。

 自分の身体に、こころに何が起きているのか分からない。

 時に、誰にでもあることだと思います。

 そんな時、筆者は自分自身に対して、「失神状態」だなと感じます。

 でも自分の中に神は居る。

 目を閉じて、呼吸に意識を向け、じっと自分の心の動き、身体の感覚に合わせます。

 もう、これだけで「得神」だと思うのですよ。

 自分が分からなくなっても、お腹は動いているし呼吸もできているし。

 それだけでいいのじゃないかと、筆者は思うのですが・・・

気憶?

 みなさま、大変ご無沙汰しております。

 各種セミナーで、板書する機会が多いのですが、よく指摘されるのが誤字。

 最近指摘されたのが、この気憶。

 正しくは、記憶なのですがこの「気憶」

 我ながら、東洋的な造語? だと思うのですがいかがでしょうか。

 

 確かに、「記す」とある訳ですから、覚え方としては正確な文章化のイメージですよね。

 ところが、「気」を憶えるとなると、その時の感覚を憶えるといった感じになりませんでしょうか。

 

 音楽、香り、空気・・・何となく感覚で過ぎ去った過去の出来事がリアルによみがえってくることってありませんでしょうか。

 これこそが、気憶だと思うのですが、いかがでしょう。

 我田引水の、うんちくでした。

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霊性というもの

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  霊性について思う時、その薄れを感じることが多々あります。

 悲しいかな、筆者も自分に対してそのように感じるのです。

 例えば、更地に家を建てる時に、敷地にしめ縄を張って祝詞をあげてもらうのが一般的です。

 よく見かけますよね、起工式とかにしめ縄張って神主さんが祝詞を挙げる光景。

 人と精霊の関わりを大事にする古来からの霊性の現れです。

 土地の精霊(産土=うぶすな)に対して、ここに家を建てることで成長できなくなる草花や虫に対してお伺いをたてるのですね。

 このような感性だと、環境破壊など起きる事はありえないのですが。

 精霊と人間とは共存ってことです。

 ところが現代に至っては、まずは家を建てることを人間が決めてから、形式的にお伺いを立てているのが現状です。

 ここをどいて下さい、って言ってることと同じになってしまってます。

 そこに精霊たちからのメッセージに耳を傾ける感性は、欠落してしまっています。

 人間による環境悪化が、人間の首を絞めることは、誰もが周知のことです。

 人間にとって大切な環境を取り戻すには、精霊を敬い、共存するという霊的感性を取り戻すことこそが、もっとも急務だと思うのですよ。

 それはとりもなおさず、自分自身の霊力=元気を高めることにもつながることだと思うのですが。

 このように書きつつ、筆者自身が生きて行くうえで霊性の回復は、大きな課題となってしまっています。

 

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霊力は元気

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 いきなり「霊力」って書きましたが、強弱の差こそあれ誰でもが持ち合わせている力です。

 筆者の感覚では、霊力=元気なんです。

 一般的な常識として、肉体を維持するパワーの源は、空気(天の気)と飲食物(地の気)に培われていると思われています。

 確かに、東洋医学の教科書にも、空気(天の気)と飲食物(地の気)で気血が生成され精力につながる生理が説かれているのですがね。

 ところが、はたしてそれだけが我々人間の、いや全ての生物の元気の源なのだろうか。

 この疑問が出発点です。

 空気と飲食物が無いと、肉体を維持できないのですから大事なことには間違いはありません。

 でもやはりそれだけでは無い!って思うのです。

 その、なんか欠けてると思われるのが、霊力ではないかと。

 では、「霊力」とは、いったいなんぞやってことになるのですが、これを表現するとなると、なかなか難しく感じてしまうのです。

 稲垣副院長が、個人ブログ「とある鍼灸師の実情」のなかで、自然治癒力が方向性を違えると、発病力に転化してしまうことを説いてます。

 発病力が向かう方向を、本来の在り様に転換すると、創造と喜びに向かうのですが、そこに霊力というか霊性的感性がとても重要になってくると思うのです。

                               つづく

 

※写真は昨日、日の出直前の南天に、ぽっか~んと浮かんでたお月さま。
 ぽっか~ん、気持ちいいだろうなぁ~。

 

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概念と実体

 

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 今朝は5時過ぎに目が覚めまして、ようやく乱れていた生活時間が平常に戻ってきた感覚です。

 朝日が見たくなったので、一眼レフを持って散歩に出かけました。

 いつも行く橋の上では、思い思いに身体を動かしながら、もうすでに日の出を待ってる人たちがチラホラ。

 日の出と日の入りの光景は、いつも感動的です。

 場を共有して朝日を待ちわびている人たち、それぞれに訪れている感覚なのでしょう。

 写真は、夜明けの陽気が立ち拡がる日の出直前のものです。

 日の出の美しさを感じる感性は、そのまま自分に備わっている霊的感性。

 霊性という言葉は、あえて概念化・定義しない、曖昧なままの方が良いと思ってます。

 なぜなら、霊性とは筆者の認識の及ばない、とんでもなく広いものだと感じるからです。

 宇宙って、定義してしまうともうその概念の中でしか認識できなくなってしまいますよね。

 それでも、ある程度概念化しないと、伝えることが出来ない。

 概念化すると、実体とかけ離れる・・・

 ちょっとしたジレンマですかね。

 

                  つづく

霊性と生きること 起稿

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 先日、奈良にあります大神神社にご参拝に行って参りました。

 実に、二年ぶりです。

 信仰は? って聞かれると、多信仰です。 

 だからという訳でもないのですが、久々に行ってみようという気になったので、素直にその気に従って行ってまいりました。

 これを機会に、誰にでも備わっている霊性とその感覚について、筆者なりの思いをつらつらと書いてみようかと、そんな気にフトなりましたもので起稿した次第であります。

 筆者は治療家なので、病気治しを生業としているのですけれど、ずっと以前から、人の生きることと霊性との関連性ってどうなんだろう?って思ってたのですが、最近特にその思いがつのりまして・・・

 それはさておき、この鳥居の前に立つといつも感じること。

 鳥居の先は、何となく別世界ということです。

 なんで神社になんぞ行くのだろうとふと我に問うと、理由のない感覚に導かれてとしか言いようがないのですよね。

 これ、対象が神社だけど、恋人だったらどうでしょう?
 亡くなられた、ご両親だったら?

 なんか共通するものが根底にある様に思えるのですよ。

 

                         つづく

 

こころの不思議

 当院には時々、かなり遠方から受診してくださる方がおられます。

 

 この度も、沖縄の離島から船に乗り、飛行機に乗り、電車を乗り継いで、おいでくださいました。 

 離島からは、これまで数人の方がお見えになりましたが、その方々に共通していることがあります。

 

 それは、治癒率が非常に高いということです。

 

 しかも 難病指定疾患であっても、数日間ホテルに滞在しながら受診して、治ってしまった方もおられますし、島に帰ってから治った方もおられます。

  島という環境がいいのか、それとも こんな遠方にまで交通機関を乗り継いででも治りたいという「こころ」に気合いが入っているのか。

 

  どうなんでしょうね。

 

 ちなみに、その島には信号がありません。(あまり関係ないかもしれませんが…)

 

  あと共通してるのは、身体が辛いにもかかわらず、筆者に会えた喜びを満面に表現されることです。

 

  今回の方は、息をしても痛んでいた肋間神経痛が初診で治まっただけでなく、一時的ですが、数年ぶりに耳鳴りが止まって静かさを味わえたと。

 

  鍼が効いたと思います、間違いなく。

 

  たとえ鍼が効いたのでなくとも、とても嬉しいのです。

 

  が、それにしてもです、早く良くなられるのですよ、遠方から来院される方は。

 

 で、やはり不思議さが残るのです。

 

 人の『こころ』の。

 

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