いおり日記

大阪市淀川区 いおり鍼灸院 院長・金澤秀光が綴る東洋医学に関するよもやま話。  「心身一如」の古典医学に立脚し、個人の有り様と、人間を取り巻く環境との相関的視点から気ままに書いています。 過去のブログ記事はこちらへ→http://iori-hermitage.sblo.jp/

概念と実体

 

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 今朝は5時過ぎに目が覚めまして、ようやく乱れていた生活時間が平常に戻ってきた感覚です。

 朝日が見たくなったので、一眼レフを持って散歩に出かけました。

 いつも行く橋の上では、思い思いに身体を動かしながら、もうすでに日の出を待ってる人たちがチラホラ。

 日の出と日の入りの光景は、いつも感動的です。

 場を共有して朝日を待ちわびている人たち、それぞれに訪れている感覚なのでしょう。

 写真は、夜明けの陽気が立ち拡がる日の出直前のものです。

 日の出の美しさを感じる感性は、そのまま自分に備わっている霊的感性。

 霊性という言葉は、あえて概念化・定義しない、曖昧なままの方が良いと思ってます。

 なぜなら、霊性とは筆者の認識の及ばない、とんでもなく広いものだと感じるからです。

 宇宙って、定義してしまうともうその概念の中でしか認識できなくなってしまいますよね。

 それでも、ある程度概念化しないと、伝えることが出来ない。

 概念化すると、実体とかけ離れる・・・

 ちょっとしたジレンマですかね。

 

                  つづく

霊性と生きること 起稿

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 先日、奈良にあります大神神社にご参拝に行って参りました。

 実に、二年ぶりです。

 信仰は? って聞かれると、多信仰です。 

 だからという訳でもないのですが、久々に行ってみようという気になったので、素直にその気に従って行ってまいりました。

 これを機会に、誰にでも備わっている霊性とその感覚について、筆者なりの思いをつらつらと書いてみようかと、そんな気にフトなりましたもので起稿した次第であります。

 筆者は治療家なので、病気治しを生業としているのですけれど、ずっと以前から、人の生きることと霊性との関連性ってどうなんだろう?って思ってたのですが、最近特にその思いがつのりまして・・・

 それはさておき、この鳥居の前に立つといつも感じること。

 鳥居の先は、何となく別世界ということです。

 なんで神社になんぞ行くのだろうとふと我に問うと、理由のない感覚に導かれてとしか言いようがないのですよね。

 これ、対象が神社だけど、恋人だったらどうでしょう?
 亡くなられた、ご両親だったら?

 なんか共通するものが根底にある様に思えるのですよ。

 

                         つづく

 

こころの不思議

 当院には時々、かなり遠方から受診してくださる方がおられます。

 

 この度も、沖縄の離島から船に乗り、飛行機に乗り、電車を乗り継いで、おいでくださいました。 

 離島からは、これまで数人の方がお見えになりましたが、その方々に共通していることがあります。

 

 それは、治癒率が非常に高いということです。

 

 しかも 難病指定疾患であっても、数日間ホテルに滞在しながら受診して、治ってしまった方もおられますし、島に帰ってから治った方もおられます。

  島という環境がいいのか、それとも こんな遠方にまで交通機関を乗り継いででも治りたいという「こころ」に気合いが入っているのか。

 

  どうなんでしょうね。

 

 ちなみに、その島には信号がありません。(あまり関係ないかもしれませんが…)

 

  あと共通してるのは、身体が辛いにもかかわらず、筆者に会えた喜びを満面に表現されることです。

 

  今回の方は、息をしても痛んでいた肋間神経痛が初診で治まっただけでなく、一時的ですが、数年ぶりに耳鳴りが止まって静かさを味わえたと。

 

  鍼が効いたと思います、間違いなく。

 

  たとえ鍼が効いたのでなくとも、とても嬉しいのです。

 

  が、それにしてもです、早く良くなられるのですよ、遠方から来院される方は。

 

 で、やはり不思議さが残るのです。

 

 人の『こころ』の。

 

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花粉ー思い込みのちから

 先日お見えの長期通院患者さん、

 今年の花粉の飛散は昨年の4倍との報道に、昨年はほとんど花粉症出ませんでしたが、今年はどうなんでしょう? って不安になっておられました。

 そういえば高校生から花粉症に苦しんでた、義弟も同じようなこと言ってたのを思い出しました。

 義弟も、今はほとんど症状は出ていないのですが、ニュースで花粉情報見ると、何となく目がかゆくなるとか言ってました。

 これって、多分に思い込みのちからですよね。

 花粉症の犯人は、花粉だとすっかり世間の意識になじんでいるようですね。

 マスコミ、恐るべしです。

 花粉症は、心の習慣と生活習慣を改めると、比較的簡単に治る疾患のひとつなのですがね。

 花粉症に関しては、以下のブログに解決方法を記載していますので、ご一読くださればと思います。

  ↓

 自分で治せますよ、花粉症(4)

 

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張り合うこころ

 このブログ、最終投稿から約一年も経っていたのですねぇ。

 昨日、とある女性とお会いしてきました。約10年ぶりかな。

 しっぽり約二時間。

 でね、その女性、自分の中に確固としたものを感じるようになって、人と比べたり競争する気持ちがなくなったと話してくれました。

 なるほどなぁ・・・すごいなぁ、この人って、すっごく納得しました。

 翻って自分を見つめてみると、常に張り合う相手を探していたように思います。

 

 まだほんの子供だった頃、一緒に遊んでた近所の子たちと、川の堤防にずらりと並んで、おしっこの飛ばし合いをしてたのが思い出されます。

 おしっこが、ちょっとぐらい人より遠くに飛んだからって、それがなんやねん、って今なら笑いながら思えるんですけどね。

 でもその時は真剣。

 こどものたわいのない遊びといえばそうなのですが、ずーっとそんな感覚でこれまで生きてきたように感じています。

 今はどうなんだろう?

 外に張り合う対象は思いつかないけど、自分の中が分裂して張り合ってる感じがしてます。

 競争も、張り合う気持ちも、自我の欲にまみれてきたとはいえ、ここまで自分を引っ張てきたエネルギーなので負の面ばかりじゃなかったと思います。

 さてさて、自分の中でどう折り合いをつけるのか。

 いや多分、意図を用いても無駄のように思えます。

 どのように折り合いがつくのかを、自分の内面を眺めつつ待つのがいいのでしょう。

 今日はこれまで・・・

 またボチボチ書いて参りますので、みなさま、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

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自己管理術

ゆっくりと、でも確実に開花の準備 桜のピンクの花びらが、うっすらと見えます



 3月も後半に入り、卒業のシーズンとなりました。

 私事になりますが、もうすぐ7歳になる娘も3月19日が卒園式でした。

 その後、保護者会の茶話会に母子ともに参加し、娘は普段口にできないお菓子を心行くまで楽しんだそうです。

 この日の夕食は、当然食が進んでおりませんでした。

 翌20日(日)、娘の友達が遊びに来たらしいのですが、みんな手にはお菓子を持っている。

 うちの娘には、頑として与えませんでした。

 遊び終えたその日の夕方、居間でふてくされて寝ているので、ちょっと起こしてお話しを聞いてみました。

 みんながお菓子食べてるのに、自分だけ何もなくて、友達から少しだけ分けてもらって食べたけど、悲しかったそうです。

 そりゃそうですよね、娘の気持ちはよ~くわかります。

 涙目で話していましたが、気持ちを聞いてもらえて少しは軽くなった様子でした。

 でも、普段からジュースやお菓子食べないようにしているから、病気しないしこの前も、インフルになったけど一日で治ったんだよ。

 お菓子食べたからって、すぐにお腹が痛くなったり病気になる訳じゃないんだよ。

 だけど、だからと言って周りの子たちと同じように好きなだけお菓子食べてると、もし病気になったらこの前のようにすぐには治らないんだよ。

 こんなことを話ながら、今朝のウンチは果たしてベトベトウンチ。

 ウンチの観察は、以前から躾けているので、自分が口にしたものと排泄物との関係には、小さいながらも、意識的になっています。

 で、本人は納得。


 排泄物の状態は、お腹の調子が如実に現れます。

 筆者が育った昭和30年代前半は、まだお菓子やジュースが一般的でなかったので、こんな躾けは必要なかったのかもしれません。

 せいぜい、寝る前にお茶を飲み過ぎるなとか言った程度でした。

 物が多彩で豊富に、しかも安価で手に入る時代だからこそ、これからは大人も子供も自己管理の術を、身に付けておくことがとても大切な時代です。

 いい加減で無分別な飮食→身体の変調→気分や気持ちの変調→何となく欲求不満→無分別な飮食で満たす→身体の変調・・・すこ~しずつ負の循環が起きます。

 そしてある日、何かをきっかけとして、突然病気。


 食べ物は、心の状態にまで確実に影響します。

 本来の『当たり前の食べ物』って、いったい何だったのでしょうか。

 無農薬・有機栽培が身体に良い?

 現代人は、それ以前の問題です。

 これから、少しづつ書いて参ります。

 みなさま、自分が寄って立つ軸を、見失わないように致しましょう。


 鍼専門 いおり鍼灸院

顔が見たい・・・?

笑っているよう


 いよいよ2月も終わり・・・早くも花粉症状の現れている方もいらっしゃいますね。

 ちなみに、花粉症なんて、自分で治せますからね。またいずれ今年も同じことを書きますが、興味のある方は過去ブログをご覧ください。

  過去ブログー「自分で治せますよ花粉症」


 この時期、インフルエンザの予防も兼ねてマスクをしておられる方も多く、お顔がよく見えません。

 ちなみに、インフルの予防ではなくって、人にうつさないためだと思うのですが…それはさておき。


 顔が見えないと言えば、セールスの電話、知らない相手からのメール、だれが作ったのか分からない食べ物や製品・・・

 数え上げればたくさんあるのですが、筆者は顔の見えない相手は、基本的には信用いたしません。

 まっ、食品や製品に至っては、生産者というよりできるだけ顔の見える相手から購入するしか仕方ないのですが。

 おそらく、筆者だけでなく、このような感覚の方はたくさんいらっしゃると思います。

 ところで、最近人と会話しているときに、話しずらいなと感じることが度々あります。

 それは、先ほど触れました、マスクです。

 会話は、言葉のやり取りだけでなく、口元をはじめ顔全体の表情や顔色の変化など、『トータルな気の交流』によって成り立つものです。

 このことは、なにも会話だけでなく、生命そのものがトータルなものであるからだと思います。

 これまでこのブログで何度も書いてきているように、身を養う食べ物でさえ、作った人、食べる人との間の『気の交流』が、時として何を食べるかということ以上に大切なこともあります。

 この、マスクをしながらの会話は、風邪を引いているときなど、仕方ないときもあります。

 が、顔が見える・・・求めているのは、相手から伝わってくるトータルな人間的感覚だと思うのですが、みなさまはいかが感じられますでしょうか。


 鍼専門 いおり 鍼灸院