いおり日記

大阪市淀川区 いおり鍼灸院 院長・金澤秀光が綴る東洋医学に関するよもやま話。  「心身一如」の古典医学に立脚し、個人の有り様と、人間を取り巻く環境との相関的視点から気ままに書いています。 過去のブログ記事はこちらへ→http://iori-hermitage.sblo.jp/

自己管理術

ゆっくりと、でも確実に開花の準備 桜のピンクの花びらが、うっすらと見えます



 3月も後半に入り、卒業のシーズンとなりました。

 私事になりますが、もうすぐ7歳になる娘も3月19日が卒園式でした。

 その後、保護者会の茶話会に母子ともに参加し、娘は普段口にできないお菓子を心行くまで楽しんだそうです。

 この日の夕食は、当然食が進んでおりませんでした。

 翌20日(日)、娘の友達が遊びに来たらしいのですが、みんな手にはお菓子を持っている。

 うちの娘には、頑として与えませんでした。

 遊び終えたその日の夕方、居間でふてくされて寝ているので、ちょっと起こしてお話しを聞いてみました。

 みんながお菓子食べてるのに、自分だけ何もなくて、友達から少しだけ分けてもらって食べたけど、悲しかったそうです。

 そりゃそうですよね、娘の気持ちはよ~くわかります。

 涙目で話していましたが、気持ちを聞いてもらえて少しは軽くなった様子でした。

 でも、普段からジュースやお菓子食べないようにしているから、病気しないしこの前も、インフルになったけど一日で治ったんだよ。

 お菓子食べたからって、すぐにお腹が痛くなったり病気になる訳じゃないんだよ。

 だけど、だからと言って周りの子たちと同じように好きなだけお菓子食べてると、もし病気になったらこの前のようにすぐには治らないんだよ。

 こんなことを話ながら、今朝のウンチは果たしてベトベトウンチ。

 ウンチの観察は、以前から躾けているので、自分が口にしたものと排泄物との関係には、小さいながらも、意識的になっています。

 で、本人は納得。


 排泄物の状態は、お腹の調子が如実に現れます。

 筆者が育った昭和30年代前半は、まだお菓子やジュースが一般的でなかったので、こんな躾けは必要なかったのかもしれません。

 せいぜい、寝る前にお茶を飲み過ぎるなとか言った程度でした。

 物が多彩で豊富に、しかも安価で手に入る時代だからこそ、これからは大人も子供も自己管理の術を、身に付けておくことがとても大切な時代です。

 いい加減で無分別な飮食→身体の変調→気分や気持ちの変調→何となく欲求不満→無分別な飮食で満たす→身体の変調・・・すこ~しずつ負の循環が起きます。

 そしてある日、何かをきっかけとして、突然病気。


 食べ物は、心の状態にまで確実に影響します。

 本来の『当たり前の食べ物』って、いったい何だったのでしょうか。

 無農薬・有機栽培が身体に良い?

 現代人は、それ以前の問題です。

 これから、少しづつ書いて参ります。

 みなさま、自分が寄って立つ軸を、見失わないように致しましょう。


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顔が見たい・・・?

笑っているよう


 いよいよ2月も終わり・・・早くも花粉症状の現れている方もいらっしゃいますね。

 ちなみに、花粉症なんて、自分で治せますからね。またいずれ今年も同じことを書きますが、興味のある方は過去ブログをご覧ください。

  過去ブログー「自分で治せますよ花粉症」


 この時期、インフルエンザの予防も兼ねてマスクをしておられる方も多く、お顔がよく見えません。

 ちなみに、インフルの予防ではなくって、人にうつさないためだと思うのですが…それはさておき。


 顔が見えないと言えば、セールスの電話、知らない相手からのメール、だれが作ったのか分からない食べ物や製品・・・

 数え上げればたくさんあるのですが、筆者は顔の見えない相手は、基本的には信用いたしません。

 まっ、食品や製品に至っては、生産者というよりできるだけ顔の見える相手から購入するしか仕方ないのですが。

 おそらく、筆者だけでなく、このような感覚の方はたくさんいらっしゃると思います。

 ところで、最近人と会話しているときに、話しずらいなと感じることが度々あります。

 それは、先ほど触れました、マスクです。

 会話は、言葉のやり取りだけでなく、口元をはじめ顔全体の表情や顔色の変化など、『トータルな気の交流』によって成り立つものです。

 このことは、なにも会話だけでなく、生命そのものがトータルなものであるからだと思います。

 これまでこのブログで何度も書いてきているように、身を養う食べ物でさえ、作った人、食べる人との間の『気の交流』が、時として何を食べるかということ以上に大切なこともあります。

 この、マスクをしながらの会話は、風邪を引いているときなど、仕方ないときもあります。

 が、顔が見える・・・求めているのは、相手から伝わってくるトータルな人間的感覚だと思うのですが、みなさまはいかが感じられますでしょうか。


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春・・・さまざま

はじけそうな、梅のつぼみ


 梅の花が、チラホラ咲き始めていますね。

 この時期は、なにも無くても、なんとなくうれしい気持ちになりますね。

 ブログ更新、久々です。

 みなさま、いよいよ始まる春本番を前に、いかがお過ごしでしょうか。


 実は立春を過ぎたあたりから、娘の寝小便が始まりまして・・・

 冒頭の写真にある通り、梅の花の開花直前でした。

 娘の寝小便に、ひとり春を感じながら、そのうち治まるだろうと放置していたのですが、さすがに4日連続となった日の朝に治療しました。

 病理は簡単です。

 下図のように、春は自然界の気が下から上に、内から外に向かうので、人間の身体の気も同期して同じ方向に向かうからです。

 娘は気が盛んで春の気に同調し、気が上半身に集まって、下半身に不足しておしっこが洩れてしまっていたのです。

 二穴用いましたが、簡単に治ってしまいました。

 喜び事も、度が過ぎると気が昇って降りにくくなりますので、みなさまほどほどに。





 花粉症を始め様々なアレルギー症状・皮膚症状。腰痛・のぼせ・めまい・頭痛・咳喘息・耳のトラブル・目の充血や腫れ・風邪・喉痛などの風邪様症状・うつなどの気分障害・腹痛下痢・・・とまあ、花が一斉に咲き始めるかの如く、このところ全科疾患オンパレードです。

 が、原因はひとつ。

 冬の生活態度の誤りです。


 みなさま、風船をイメージしてください。

 低気温下でパンパンに膨らんでいる風船が、気温が上昇するにつれてどうなるでしょう。

 風船の中の空気は、出口を求めて最も出やすいところから逃げようとして膨らみますでしょう。


 人間の身体は風船ではありませんが、皮一枚でおおわれた袋です。

 その袋の出口で、冬の間にため込んだ様々な邪気が外に出ようとして渋滞を起こすのが、この春に起きる症状です。

 冬の間に、どのようなものを飲み食いしたのか。

 どのような気持ちで過ごしたのか。

 夜更かしが日常化していなかったか。

 複雑で難治に思える様々な疾患の原因は、このようなところにあるのです。


 これらの点を反省すること無く、原因や解決を自分以外の外に求めたり、症状が治まればそれでいいという性根だと、必ず再発します。

 それだけでなく、繰り返すたびに深刻化します。

 そうなると、人生までもが思わぬ方向に流れてしまいます。


 臨床では、この点をしっかり理解してもらうために、様々な角度から説明し、その人の身体が表現していることを伝えながら治療を進めます。

 時にきつく言ったり、場合によっては治療をお断りする場合もあります。

 漢方や鍼と言えども、症状の消失だけを目標に治療を行えば、将来必ず禍根を招く対症療法になるからです。 

 対症療法は、用い方によって善にも悪にもなる両刃の剣です。


 洋の東西を問わず、医療が病気を治すのではありません。

 薬や鍼が効く、病気を治すと言った感覚は間違いです。

 作用する、ただそれだけのことです。しかも生きてる人間だけに。

 医療が死んだ人を生き返らせることが出来ないように、一時的に危機を救うことが出来ても、医療が人を生かすことなどできないのです。

 ましてや、医療に頼って健康など実現するはずがありません。

 本来の医療はあくまで、自分の身体に起きていることの責任を、自分自身でとれるためのサポート・補助でしかありません。


 自分の身の行く末は、先ず自分が決めなくてはなりません。

 医療に身をゆだねるとしても、先ず自分の身は自分で建てなくてはなりません。

 医療に重きを置いて、自分の人生を左右する主役にしてはなりません。


 本来の・真の医療は、自立するための、杖のようなものです。

 だからこそ、医療が必要でなくなるためにと、古来より『養生』を説いてきているのが、東洋医学です。


 自分で歩けるようになれば、もう杖は必要ないですよね。

 このような状態を、是非とも目指して頂きたい。

 いおりスタッフ、全員の願いです。


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飮食の大事さ

つぼみ、ほころんできてますねぇ


 前回、食べ物の選択について書きましたが、今回は量について。


 毎日口にする飮食が、どれだけ大事なものであるかは、どなたも認識しておられると思います。


 現代は、少なくとも物質的には豊かな時代であることを、まずしっかりと認識してください。


 古来、先人が説いておられることで、現代まで一貫していることがあります。


 それは、『過ぎること』です。


 人は誰でも様々な「欲」がありますし、これはこれで大切なことです。



 例えば、食欲が無くなることは、即、生命の存亡にかかわります。


 しかしながら平常においては、どちらかと言えば『過ぎること』で心身を病むことが圧倒的に多いのです。


 誰でも、欲に従う 『もっと食べなさい・摂りなさい』 という言葉は、言いやすいものです。


 過ぎた欲を戒める言葉は、言いにくいものです。


 このことを心ある先人は、説き続けているのです。


 「腹八分、医者いらず」とは、あらゆることに通じる金言です。


 現代では、本来商品にならない『健康』が商品として売り出されています。


 不健康⇔健康という図式で、不安を創出するとそこに需要が生じます。

 何か特別なものを食べたからと言って、実現する健康状態など幻想以外のなにものでもありません。 

 一昔前の先人は、有機栽培・無農薬の食物を摂っていたではありませんか。

 それでも、病とは無縁でなかったからこそ、医学が存在し続けてきたのです。

 さらに、毎日心も体も、快調、快調、絶好調! なんてあり得ません。



 人は、快調と不調の間を揺れながら行き来する過程で、ときに病となりつつも、多くのことを学びながら生きるのが人生というものです。


 『健康』とは、人それぞれの生き方の反映であり、決してお金や物で買うことのできないものです。


 絶対的貧困の状態であれば、生き方もなにも無いのは当然ですが、現代は摂りすぎても不足することは無い時代です。


 この豊かな時代を享受し、豊かな毎日を実現するにはどうしたらいいのでしょうか。


 それに対して筆者は、『欲』は、使うものであって使われるものではない、ひとりひとりの心身の処し方に在ると思っています。

 このように書いてますが、なかなかこの『欲』というものは、制御しがたいものです。

 ただ大事なことは、病的・不調な状態になってしまったら、『過ぎること』と『摂する』ことの狭間に揺れながら生きてる、自分と向き合うことだと体験的に思います。


読者諸氏はいかがでしょうか。


飮食物の選択

雪の朝、葉牡丹



 筆者は、地方の田舎で昭和30年代初めに生を受けたのですが、高度成長時代の物質的に豊かになっていく移り変わりを、目のあたりに見てきたギリギリの世代ではないでしょうか。

 食べ物だけじゃなくって、衣食住、人々の意識も大きく変わり、物の選択肢が広がり、豊かさを実感しています・・・ありがたいですねぇ。

 その反面、現代病の代表ともいわれるガンや免疫疾患、そして精神疾患が続出しているのは、陰の面ですね。

 その陰の面に光を当てると、様々なことが見えてくるのですが、その一端として飮食物に焦点を当てたいと思います。

 日常の食べ物として、先ず挙げられるのは「お米」

 元々は大陸からのものですが、弥生時代からすっかり日本化して以来、食文化の中心となっています。

 武家社会になってからは、大名の規模は、お金よりも石高で表されていましたから、日本の生活文化の中心であったともいえると思います。

 この「お米」、食べておいしいのはもちろん、高温多湿の気候風土の日本にあっては、栽培にも適していたのだろうと想像できます。

 筆者は、その地域特有の文化は、その地域の気候風土が決定すると考えています。

 古来より人間は、その地域特有の気候風土で生きていくために、地域共通の規範を生み出して来ました。

 米作りには、多大な労力が必要です。

 そこでひとりひとりの感性や意見の違いを乗り越え、村全体で稲作栽培を行う必要性から、和の文化の基礎が出来上がったのではないかと考えています。

 これが、農耕民の文化だと思われますし、意識の根底を形成しているのではないかと思うのです。

 ちょっと話がそれますが、大陸からの移民が多く、他民族社会であった奈良時代に、聖徳太子が「和をもって、尊しとする」と述べたことも、米文化にその由来があるのではないかと思っています。


 筆者は、日常の食べ物は、この日本の伝統文化を意識して選ぶのが、基本だと考えています。

 なぜなら、長く食され受け入れられてきたということは、身体的にも高温多湿の気候風土に暮らす日本人の体質に最も適していたからだと考えられるからです。

 「お米」離れと言われて久しい今日ですが、朝食はパンより米食を基本とするのがよろしいのです。

 パンとお米のどちらが優れているか、といった議論には意味がありません。

 パンには、パン食に合うものがあり、米には米食に合うものがあり、それぞれ両地域の気候風土の違いがあるだけです。

 パン食に合うものといえば、バターなどの油脂をはじめ、ジャム、肉類、シチュー、生野菜、牛乳、チーズなどの乳製品などが挙げられるのではないでしょうか。

 一方米食に合うものといえば、ノリ、ひじき、油揚げ、お豆腐、味噌汁、季節の葉・根菜、山菜などの煮物や和え物、魚の焼き物、食後の緑茶といったとこでしょうか。

 パン食の文化は、肉食の文化でもあります。

 パン食のヨーロッパ文化は、日照時間が短く寒い地地域ならではのもので、その地域で収穫し、加工し、それを生きる糧として発展してきたものです。

 乾燥地域では、身体を潤す作用のある乳製品が理にかなっていますし、陽気の強い肉食もまた当然のことです。

 一方、冬であっても湿気を感じる日本では、奈良時代に仏教と一緒に醍醐(チーズ)という乳製品が入って来ています。

 ところが、日本文化に定着しなかったのは、日本の気候風土に培われた、日本人の体質に合わなかったからだと、筆者は考えています。

 最近の風潮として、豚トロとか称して、脂っこく濃厚なものを好む傾向にあるように思えるのですが、日本文化ではダシに代表されるうま味にこそ重点が置かれていると思います。

 脂っこく濃厚な味のものは、体に内熱を生じさせます。

 (内熱=体温計では、測れない東洋医学独自の概念)

 保湿作用のある牛乳やチーズ・ヨーグルトは、体液の代謝異常を来しやすくなります。

 体液の代謝異常の初期は、雨の前後になんとなく頭や身体が重だるく、ボーっとし、大便も柔らかく粘るようになります。

 内熱は、その性質から亢進するので、落ち着きがない、イライラする、少しのことに異常反応する、大小便や汗・体臭がきつくなるなどの兆候が現れます。

 香水などは、肉食文化の地域で、体臭を消すために考え出されたものです。

 現代病は、この内熱と体液異常によって起きるケースが最も多くみられます。

 パンよりお米、ラーメンよりうどん・そば、ピザよりお焼き、サンドイッチよりおにぎり、スープよりお味噌汁、ジュースよりお茶、ケーキよりも和菓子・・・こんなところを意識して選択されるのがよろしいかと思います。

 病は、突然起きるように感じますが、それまでの積み重ねの結果です。

 毎日の食事。

 ちょっと意識するだけで、日を重ねると随分と違ってきます。
 



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食べるということ - 気の交流

雪を頂いているような・・・可憐で強い



 飮食の目的は、エネルギー源を食物で取り入れ、身体を養うことですよね。

 巷では、自然食品とか、あれがいい、これがいいなどと情報が溢れかえっていますが、その前に

 食べるという素朴な行為に込められた意味に意識的になってみませんか?

 

 みなさま、食卓っていう言葉から、どういったことを連想されますでしょうか。

 家族、一家団欒、みんなで囲んで食べる、楽しい会話、ときに叱責・小言・・・

 それぞれ同じものを食べていても、その時々で味わいや美味しさが違うはずです。

 食べるということは、その時の状況や一緒にいる人との精神情緒と深くかかわり、深い絆も培われます。

 「同じ釜の飯を食った仲間」という言葉を聞いたことがありませんでしょうか。

 毎日一緒に食事をすると、自然とお互いがより深く親密になるものです。

 食事は、「どんな人」と、「どのような状況」で、「どんな思い」で食べているかが、食べ物を選ぶ以上に大切なことです。

 お互いの顔の表情を見ながら「美味しいね」と言って頂く食べ物は、内容がどうであれ、大きな喜びでもあり、喜びの場を共に過ごすことで、さらに親密に、豊かな心と体が育ちます。

 時にテレビを見ながら食事するのもいいでしょう。

 しかしテレビは食べ物の味、一緒に食べている人との関わりから「気」がそれてしまいます。

 もったいないですね。


 食事のときは、周囲を整えて、ゆっくりとお互いの顔の表情を見ながら、味わって食べたいものです。

 また今日一日あった雑事は、一旦は脇に置いて、気持ちを目の前の食卓に置きたいものです。

 また、いつも良い精神状態であればいいのですが、毎日笑顔で機嫌の良い状態なんて、ちょっと無理ですよね。

 そんな時も互いに思いやったり、時にぶつかったりすることがあっても、また一緒に食事ができる・・・素晴らしいじゃないですか。

 食べることは、喜びです。

 喜びを共有できるのって、やっぱり素晴らしいことだと思うのです。

 子供のごはんの食べ方や食べるときの、しぐさ・動作・表情は、言葉以上に子供の全状態が表現されています。

 大人だって同じです。

 食べるということ。

 ちょっと意識的になってみませんか。

 瞑想と同じで、何かが変わってきますよ!


育ての親より・・・

菊・・・古風で落ち着いた感覚がする



 お正月気分も、ようやく抜け出したかな?と思いきや急な寒波。

  年明けから、お腹の不調を訴える方、多いですね。

 七草粥も終わりましたが、しばらくあっさりとしたもので少食にすると、回復が早いですし快調になりますよ。

 ところで、以前からちょくちょく臨床現場で耳にしていたことのひとつに、自分の今の病気は、遺伝だと理由づけされていることです。

 あと、同じような意味で「体質だと言われた」ということです。

 遺伝も体質も、今の不快な状態は、解決方法がないので仕方ないという消極的な意味合いで用いられているように思えます。

 遺伝だから、体質だからと、何となく納得されているのですよね。そして仕方ないのだけれども、少しでも楽になりたい・・・

 切ない思いは、よく理解できるのですが、これでは治るものも治りません。

 遺伝とされているもの、体質っていったい何なのかをはっきりと認識すると、この思い込みから出ることができます。


 病因が遺伝とされているものの大半は、生まれ育った環境の影響が大きく作用していると考えています。つまり、先天的なものではなく、後天的に出来上がったものだということです。

 後天的に出来上がったものならば、意識的に変えていくことができると、思いませんでしょうか。

 DNAが日本人でも、アメリカで生まれ育ったのなら、どうしても英語的発想や思考になりますし、食べ物も服装もすべてアメリカの文化が身につき、体質もアメリカンに近くなります。

 家庭も同じで、親の心と生活の習慣は、好むと好まざるとにかかわらず、全てでは無いにしろ引き継いでしまいます。

 東洋医学からみれば、気の使い方や気の動きは、どうしても家族など、周囲の影響を受けてしまいます。

 当然のことですよね。

 『生みの親より、育ての親』なんて言われてますが、遺伝的形質を受け継いだ親より、毎日一緒に暮らしている育ての親に似るという一面もあると思います。


 家系的に、ある病気が世代間を経て現れるのは、ほぼ無意識となっている周囲の環境から引き継がれた習慣であると、筆者は考えています。

 筆者の田舎では、村地域特有の名字があるのですが、おおよそあの名字の一族は○○のような人が多いとかささやかれます。ひとりひとりは違うのですがね。

 これ、国や民族を見ても同じだと思うのです。

 ある国や民族に特有の気質とか病気とかね。

 紀元前に著された、<黄帝内経・素問>という書物には、

 「北方の民は、高い尾根が連なる丘陵に住んでおり、寒風が峻烈なところであり、天幕を用いて遊牧生活を好み、乳製品が食生活の中心であります。

 そのために内臓が寒え、胸やお腹の水分代謝異常を起こし、胸腹がパンパンに腫れる脹満(ちょうまん)という病を生じてしまいます。』

 このように、地域特有の病を、気候風土と文化との関係性で解いています。

 ちなみに、体に良いとされている乳製品が、体液の代謝異常を引き起こしやすいことは、臨床的事実とぴったり符合します。

 詳しくは、右をクリックしてご覧ください → 『鍼灸医学の懐』

 家庭もまた、大きくは日本文化で括られますが、小さくは家族特有の文化があると思います。

 それは、信念であったり、食べ物の嗜好であったり、心の習慣であったりするのです。

 家庭の味とか家庭内の雰囲気などがそれに当ります。

 ここまで書いてきますと、もうお分かりだと思います。

 遺伝や体質と言われているものは、文化的習慣によって出来上がっているのです。

 文化は、時代を経て、その時々に適するようにゆっくりと変化します。

 個人も同じです。良くも悪くも、自分自身の習慣に気づいて、少しずつ意識的に今までとは違った行動をする。

 するとその行動は、新しい習慣となって上書きされるので、遺伝だと思われていたものや体質は、徐々に変容してまいります。

 国の文化の変容も、歴史的にこのように発展してきたと、筆者は考えています。

 よりよい人生を創造していくことは、家族の関係性により良い変化をもたらします。

 さらにその関係性の変化は、地域社会から国家、世界へと広がって行きます。

 世界平和も、個人の健康と充実した生き方が基本となって参りますね。

 みなさま、日々の生活を大切にして、世界平和に貢献いたしましょう!!

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